皆さま、おはようございます。保育園、幼稚園写真のふぉとすてっぷ、代表の嶋です。
ふぉとすてっぷの公式Twitterはあるのですが、私自身は、Twitterに対して「何となく騒々しい」「どんどん流れてしまってチェックが大変」というイメージがあり、個人的には利用していませんでした。先の「#検察庁法改正案に抗議します」のTwitterデモで初めてちゃんと利用してみて、Twitterの楽しさや価値をようやく理解することができました。
そして、もう一つ再認識したことがあります。それは「ネット右翼」と呼ばれる人たちがどんな人たちなのかということです。それまでヘイトスピーチなどを行う日本会議に所属する人たちと同人種のようなイメージを漠然と持っていました。
Twitterできゃりーぱみゅぱみゅさんに「歌手やってて、知らないかも知れないけど」などという差別的な発言はしても、「検察庁法改正案に賛成する理由は示さない」ことを目の当たりにして、「何なんだ、この人たちは・・・」と驚き、「なるほどそういうことね」と納得もしました。
この件について、勝部元気さん(コラムニスト・社会起業家)が書かれた文章がとてもわかりやすく、芸能人や普通の人たちは「まずは政治的理想を語るステップから始めよう」というメッセージに共感したので、このブログで全文を紹介します。
「#検察庁法改正案に抗議」した芸能人を叩いた者の正体は
政府が進めている検察庁法改正案に対して疑問を持った1人の女性が、「#検察庁法改正案に抗議します」というハッシュタグを作ってTwitterデモを始めたところ、そのタグが瞬く間に広がり、著名人を含む約900万件にも及ぶムーブメントに発展しました。
アーティストのきゃりーぱみゅぱみゅさんや水野良樹さん(いきものがかり)、俳優の小泉今日子さん、浅野忠信さん、井浦新さん、秋元才加さん、演出家の宮本亜門さん、タレントのラサール石井さん、元格闘家の高田延彦さんのほか、多くの作家や漫画家も賛同しました。モデルで俳優の水原希子さんは署名活動にも参加しています。
日本の芸能人が政治的発言をほとんどしない中、様々な分野の著名人が政治に対して同時に声を上げたのは、異例中の異例と言えるでしょう。
これに影響されたのか、一連の法案を審議する5月15日の国会中継(衆議院内閣委員会)をインターネットで視聴する人が増えたようです。Twitterで「国会中継 初めて」で検索すると、初めて国会中継を見た人々が、答えになっていない政府答弁や、野党批判をする日本維新の会の質問に対して、驚き呆れる投稿が散見されました。このムーブメントを機に、国民の政治参画意識がわずかかもしれませんが高まったことは間違いありません。
声を上げた著名人へのバックラッシュが酷い
この抗議の声を上げた著名人らに対しては、激しいバッシングが相次ぎました。「潰す」「干されるぞ」「黙ってれば良いのに」といった攻撃的投稿が多々寄せられたのです。とりわけ、きゃりーぱみゅぱみゅさんへの攻撃は熾烈で、結局彼女は投稿を消してしまいました。
また、「人気商売なのだから政治的発言はやめておいたほうがいい」と“指南”をする人も数多くいました。民主主義国家の日本では、全ての国民に政治的発言をする権利と自由があるにもかかわらず、それを「芸能人なのだから」という理由で断念させようとするのは、民主主義そのものの否定です。
さらに、「何もしらないくせいに」(ママ)のように、マンスプレイニング(相手が自分より知識が無いと勝手に思い込んで、上から目線で物事を教えようとする言動で、主に男性から女性に向けられることが多い)も多々ありました。
たとえば、きゃりーぱみゅぱみゅさんに対しては、政治評論家の加藤清隆氏から「歌手やってて、知らないかも知れないけど」と、職業差別的発言が飛ばされています。これも十分相手を黙らせる効果があるものです。
芸能人の政治的発言が叩かれたわけではない
このような一連のバックラッシュを受けて、芸能人の「政治的発言」について議論が巻き起こっています。ですが、今回はたんなる「政治的発言」とはやや違うように思います。というのも、叩いている人々に、「意見が異なるから叩こう」という意思が存在した可能性が高いからです。
前述の著名人等をリストアップした「#検察庁法改正案に抗議しますを訴えた反日くんたち」という画像が、インターネット上で出回っていました。これを作家の百田尚樹氏が「このリストは永久保存版やね」と紹介し、著名人バッシングを扇動するような動きがありました。
一方で、百田氏のような検察庁法改正案に賛成する著名人に対して、「潰す」「干されるぞ」「黙ってれば良いのに」「何もしらないくせに」のような攻撃的投稿は、私が見た限り確認はできませんでした。発言内容の批判はあったものの、「政治的発言は問題ないが、言ったことの責任は取れ」という類のコメントもありません。
これらの動きから察するに、著名人を叩いた人たちは、「政治的発言」をしたからではなく、おそらく「政権に批判的な発言」をしたから叩いたのだと思われます。つまり「ノンポリであるべき」という圧力ではないのです。「ネット右翼」に該当するような人々が、ノンポリ的な立場を装いながらいわゆる“思想警察”的に行動したように思います。これはネットイジメやサイバーハラスメントの問題でもあるでしょう。
ネット右翼の得意技「ノンポリ偽装」に惑わされないで
そもそも、ネット右翼の活動に勤しむ人々では、Twitterのプロフィール欄に「右でも左でもない普通の日本人」と書き込む人が少なくありません。「ノンポリ偽装」は彼らの常套手段です。ノンポリのように装うことで自分たちの偏向性を覆い隠し、逆に、政権に批判的な声を上げる人々に対して「偏っている」というイメージを植え付けることに邁進してきたのです。
実際、彼らは今回のハッシュタグに対抗する際、「#検察庁法改正案に賛成します」ではなく、「#検察庁法改正案に興味ありません」というタグを拡散させていたのはその証左でしょう。これも典型的な「ノンポリ偽装」です。己の無知や無関心を武器にするのはいかにも反知性主義的な反応ですが、検察庁法改正の正当性を論理で証明できないことを如実に物語っています。
ですから、今回の件は、単に「芸能人の政治的発言」は是か非かという問題ではなく、政権を支持する立場から「芸能人はノンポリであれ」という圧力がかかる問題として捉えるべきだと思います。
コロナ失策で一変した安倍政権を取り巻く空気
それにしても、なぜ今回、所属事務所をはじめ様々な制約があるはずの著名人が声を上げたのでしょうか?
意見の相違を嫌い、“空気”を重視するムラ社会的な文化が存在することも、日本の芸能人が政治的発言をしない理由の一つですが、いまは安倍政権のコロナ対策に不満を感じている“空気”が世の中に広がっています。そのために、政策を批判しても“空気”を壊すことにつながらないと考えられた点も、著名人を後押しした環境的要因になったのだろうと思います。
昨年2019年の7月、安倍政権が芸能人との交流を積極的にSNSでアピールしている問題について触れた記事(「芸能人と安倍首相の仲良し演出会食は何が問題か」)では、安倍政権が長期化して“空気”のようになったため、「蜜月」を演じることにためらいがなくなった芸能人たちについて書きました。ですが、約1年後の今は、コロナ対策での失政が続いているため、「蜜月」を求められても断る芸能人は多いのではないでしょうか。
ミュージシャンで俳優の星野源氏は、安倍首相がコラボ動画を配信したことに対して、「事前連絡や確認は、事後も含めて一切ありません」と、ノンポリ的な素っ気ない対応で突き放したのはその証左だと思います。
芸能人も政治的発言はまだ素人が多い
では、今回のことをきっかけに、政治的発言をする芸能人が他国のように増えるのでしょうか? 確かに、その後も法案の強行採決に反対する投稿をしている著名人も多々いますし、芸能人が発言しやすくなったことは間違いありません。ですが、残念ながら物事はそう単純には進まないように思います。
というのも、芸能人はあくまで芸能のスペシャリストであり、決して政治的発言のスキルを特別に磨いた人たちが揃っているわけではないからです。大多数の一般人にできない「人前で政治を語ること」は、多くの芸能人にもできません。
この点を考えずに、「これで日本の芸能人もアメリカのように政治的発言をする流れが広がる!」というのは、早とちりだと言えるでしょう。まずは、国民全体で日頃から政治的発言をする文化を作ることが不可欠です。著名人も一般人もメディアも皆が一緒になって、その機運を醸成しなければいけません。
日本における「政治の話」は順番がおかしい
その際、ネックになっているのが、政治的発言の中身です。本来、国民一人一人が、「どのような社会が望ましいか」「どのような政策が今の社会に必要か」という政治的理想を持ち、それを実現してくれそうな代理人(政治家や政党)は誰かを見極めて選挙等で民意を託すというのが、国民主権の流れのはずです。
ところが、日本において政治的な話となると「政治家、政党、政局」についての比重が大きくなると感じます。政治的理想を語るという前段階が抜け落ちて、いきなり政治家や政党の評価を求められるケースが非常に多いのではないでしょうか。
これではハードルが高くなるのも当然です。パソコンをほとんど触ったことがない人に、いきなり「どのメーカーがよいか意見を述べよ」と求めているようなものですから。こうなると「ブランド名がカッコいいから」や「みんなが選んでいるから」等の理由で選ぶ人が続出するでしょうし、「そんなことで選ぶなよ!」という批判を免れるために、口を閉ざしてしまう人もいるでしょう。大切なのは、まず「パソコンで自分は何をしたいか」から考えることです。
また、「政治家や政党を語る」のは、「政治的理想を語る」よりも、好き嫌いという主観や感情、イメージが介入しやすくなります。そうすると、議論や、意見の違いを認め合うことが不得手な人が多いとされる日本では、どうしても「この人は反対派だ。敵だ」のような白黒思考に陥りがちです。その対立を避けるために口を閉ざす人も少なくないのが現状ではないでしょうか。
まずは政治的理想を語るステップから始めよう
逆に、現在政治的なメッセージを発信している芸能人の多くは、「辺野古の自然環境を守りたい」(ローラさん)「同性愛差別や人種差別を無くしたい」(水原希子さん)「農家の種子の権利を守りたい」(柴咲コウさん)などと、政治的理想から出発している人たちばかりです。しっかりと理想を持っているからこそ、個々の政策についての発言ができるのだと思います。
このように、今の日本での政治的発言はようやくファーストステップが始まった段階だと思います。たとえば2016年の米大統領選では、俳優等から「政治的理想として移民を分断しない社会を望んでいる。だからトランプではなくクリントンに投票する」という主張があったように、政治家や政党を自分の理想に基づいてジャッジするセカンドステップに入るのはもう少し時間がかかることでしょう。
繰り返しになりますが、芸能人か一般人かを問わず、一人でも多くの国民が政治的理想を語り始めることが、民主主義の熟成には必要不可欠です。そして、自由闊達な議論が広がる民主主義を成長させるためにも、三権分立のバランスを崩して政権の権力を強化しかねない検察庁法改正には、改めて反対の意を表明したいと思います。