『予測不能な状況の中で』宮地尚子さん

皆さま、おはようございます。保育園、幼稚園写真のふぉとすてっぷ、代表の嶋です。

安倍首相が家で寛ぐ動画に集まった35万件のツイートは高く評価し、「検察庁法改正法案に抗議します」に集まった500万件ものツイートはでっち上げだと言う。「検察庁法改正法案に反対する意見」に対して、賛成意見を言うのではなく、「反対することがけしからん」と非難する人がいる。日本社会の劣化が悲しく、怒りやイライラが募ってしまう日々です。

でもこんなめちゃくちゃなやり方で黒川氏が検事総長になったら、検察の威信も検察への国民の信頼も完全に崩れてしまいます。官邸の思い通りにはさせないと考える検察官も多いはずですし、広島地検が追ってきた前法務大臣の河井克行氏が、いよいよ立件されるという記事が今日の新聞1面に掲載されています。ツイッターデモ、河井氏立件と、政府の思い通りには進められない状況になってきた中、いよいよ検察庁法改正法案は今日と明日がヤマ場とのことで、目が離せません。

そんな中、昨日の神奈川新聞に掲載された『予測不能な状況の中で』という宮地尚子さん(精神科医・一橋大大学院教授)の寄稿を読んで、心が少し優しく、温かくなったので、今日はその文章を紹介します。

揺れる自分と相手を認める

今、みんながいちばん困っているのは、一貫性がないことだ。社会だけではない。自分の感情や判断にも一貫性がない。揺れ幅が大きすぎる。

1ヵ月前には「騒ぎすぎじゃないの?」と思っていた自分が、あっという間に「これはやばい」と思うようになり、でもやっぱり時々「騒ぎすぎ?」という疑問が頭をもたげる。

1週間前には「情報をたくさん集めて最悪の事態に備えたほうがいい」と思っていたのが、「情報にさらされても翻弄されるだけだから」とシャットダウンぎみになり、でもまたニュースサイトにかじりついて疲れはてる。

2日前には、不安が高まってスーパーで買い込みをしたのに、昨日は、買いだめをしたあさましい自分に恥じ入り、今日は「でもやっぱりもっと買わないと」と思ってしまう。

さっきまで、「インフルエンザ程度だからおびえなくてもいい」と思っていたのに、友達の友達に感染者が出たと聞くと、途端におびえはじめる。

身近な人と衝突が起きることも少なくない。非常時における緊迫感には個人差が激しいが、そのうえに、相手も自分も揺れ幅が大きい。タイミングのズレもある。

「出かけるのは危ないんじゃないの?」と聞くと「人の少ない公園なら大丈夫だよ」と言われ、次の日に「何時に出かけるの?」と聞いたら「そんな悠長なこと言ってる場合じゃないよ」と返され、「昨日大丈夫って言ったのは、そっちなのに!」と憤慨する。そんなことが、あちこちの家庭でたぶん起きている。

一貫性のない自分は恥ずかしい。でも、それは自然なことだ。非常時には人間の揺れ幅が大きいものだ。揺れないほうが不自然だし、不健康だ。そのことを認めよう。相手もそうだということを認めよう。ただそれだけで、私たちはお互いに優しくなれるはずだ。

もちろん、「舌の根が乾かないうちに」ころころ立場をかえるコメンテーターや、「朝令暮改」の政治が良いわけではない。ただ、今は、意見が異なる人や、見通しの違う人との間での感情的な応答はなるべくしないほうがいい。私たちは予測不能な状況にいる。一貫性は、予測可能な時のぜいたく品である。

そして、道徳的な判断も避けたほうがいい。接することのできる情報はそれぞれ違う。人によって抱える事情もそれぞれ違う。簡単に言える事情など、たいした事情ではない。外を楽しそうに歩き回っている(ようにみえる)人が、重い持病と闘っているかもしれないし、介護に押しつぶされそうになっているかもしれない。見えないところで、あなたの食を、医療を、福祉を、街の清潔を守ってくれているかもしれない。