元号について考える

皆さま、おはようございます。インターネット写真販売のふぉとすてっぷ、代表の嶋です。

昨日の神奈川新聞に「元号の意義、使用の是非は 学者3氏に聞く」という記事があって、興味深く読みました。明治(M)大正(T)昭和(S)平成(H)ですから、新元号はMTSH以外になるだろうなどと気楽に考えていましたが、今日は真面目な話題です。

世界的には西暦の使用が主流になっている中、日本だけが元号を使い続けている訳ですが、「独自の文化として存続を求める声」から「天皇制と結びつく元号は主権在民の憲法と相容れないという意見」まで様々な考え方があります。学者3氏の意見もそれぞれ違っていますが、「なるほど、自分もそう思う」ということから、「それはちょっと・・・」と思うことなどいろいろありました。

西暦のほうが便利で合理的

私も単純にそう思います。西暦は中国も韓国も使っているそうですし、世界共通の時間軸で過ごすほうが合理的です。反対に「キリスト生誕を紀元とする西暦を何故使うのか」という意見は、流石に意固地で大人げないような気がします。

元号にはイメージを喚起する力がある

日本では「団塊の世代」「ゆとり世代」など時代を名付けることを好むという意見はなるほどと思いました。「昭和歌謡」「平成アニメ」というようなことですね。確かに元号は合理的ではないが非合理な基準があってもいいという考え方には共感しました。

早くも私の結論になります。現状では一つの考えにまとめられないから、この問題を曖昧にしてきたと思いますが、私はそれでいいと思います。白黒はっきりさせようとすると大きな摩擦が起こるでしょうから、ゆっくり時間をかけて日本人の感覚の変化によっていずれ解消していくのがベストでしょう。

一番心配なのは、元号だけの問題ではなく、今のヨーロッパで起きているような「むき出しの本音がぶつかりあう状況」や「極端な主張がもてはやされる風潮」です。「○○ファースト」という言葉が昨年流行しましたが、「自分たちの利益」ばかり主張し合えば衝突が激しくなりますね。それが一番心配です。