本紹介

松浦弥太郎著『もし僕がいま25歳なら、こんな50のやりたいことがある。』を読んでみた

前回の本紹介に書きましたが、座右の書にしてほしいと、スタッフにケビン・D・ワン著『ニワトリを殺すな』という本をプレゼントしました。すると一人のスタッフが「今、この本を読んでいるんです」と話しかけてきました。それが、松浦弥太郎著『もし僕がいま25歳なら、こんな50のやりたいことがある。』でした。表紙には、『暮らしの手帖』編集長から「クックパッド」社員に転身した松浦さんが考え抜いた「これが本当にやりたいんだ」とあり、『暮らしの手帖』は昔から家で定期購入していて、子どもの頃から「商品テスト」が好きで読んでいましたし、せっかくスタッフが薦めてくれたので早速購入してみました。

読んでみて、ふぉとすてっぷの若いスタッフに読んでほしいなと思ったので、ここで紹介することにします。松浦さんの50のやりたいことが書かれていますが、その中の一つを書き出します。

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「やりたくないことはなにか?」

 25歳くらいのときというのは、よく人から「君はどうしたいの? なにがやりたいの?」と聞かれることが多いですし、自分で自分に問いかけることもあるでしょう。だけど、なかなかわからないものです。僕もそうでした。今なら「なにがしたいの?」と聞かれたら言えますが、でもまだまだ小声です。おそらく、自分がなにをしたいかというのは、一生のテーマだと僕は思っています。

 25歳のころの僕は答えが見つからず、ずっと悩んでいました。そんなときに答えを探す手がかりとして、やってみてよかったと思えることは、自分がなにをしたいかではなく、逆に、なにがしたくないか、を考えることでした。したくないことというのは、意外とすぐに思いつくものです。

 これは楽をしたいとか、人の言うことを聞きたくない、命令されたくないというようなこととは違います。そんな我がまま坊やの意見ではなく、僕は真剣に考えてみました。すると、たとえば「うそをついて人をだましたくない」という考えが浮かび、そこからいくつかの考えがでてきました。自分がしたくないことというのは、結局は自分が人にされたくないこと。それなら、他人にされていやだと思うことを自分がするのはやめよう、と。
 そう考えてみると、なるほど、人が喜んでくれることというのは、自分がしてもらってうれしいことなのだということが見えてきます。では、自分が他人からされてうれしいことはなんだろう。追求していくうちに、遠まわりな方法ですが、自分の「芯」が見えてくるのです。

 そして僕は「正直、親切、笑顔、今日もていねいに」という自分の芯を見つけました。自分が人からされてうれしいと思える事柄を、時間をかけて研ぎ澄ましていって、たどりついた僕の「芯」。こうやって自分の芯が見えてくると、迫力というか、野球のピッチャーでいうところの球威がでてきます。

 なにごとであれ、ただなにかをやっているのではなくて、どんな小さな作業にしても芯があると自分がぶれません。いろいろな意味で、自分の芯によるオリジナルな表現ができるということです。受け答え、あいさつ、仕事のあがりにしても、最後に自分が自分の手で形を整えて相手に渡します。その「形を整えて」という部分を、僕の場合なら「正直。親切。笑顔。今日もていねいに」で整えるので、最終的に形がほかの人と違ってくるわけです。

 自分がどう生きたいのかを悶々と考えるのは、25歳ではなかなかむずかしいことです。でも、なにをしたくないかを最初に考えて、そこから自分が人にされてうれしいことはなにかを考えることを手がかりに、考えつづけることで自分なりの理念のようなものが見つかります。すると一球一球にこめる意識がつくわけですから、何も考えずに投げる球とは違い、球が遅かろうと球威がつくということなのです。

 僕もたどりつくまでには時間をかけて考えを煎じ詰めていきました。25歳のころはすぐには答えには直結しないものですが、生きていく時間のなかでだんだんと煎じ詰め、不純物を取りのぞいていく感じでいいのではないでしょうか。
 でも僕は、25歳のときに思いついたことだけでも十分に自分の芯が見えてきたのです。それは今になっても心強い味方になっています。

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